しゅみしゅき

こちらゲーム、アニメ、映画、お出掛け、イベントで感じたことになります。。

 【Netflix】「ブラック・ミラー アシュリー・トゥー」 ファンの知りえるアイドルの思いは事務所のもの?アイドル自身のもの?

 アイドルファンは推しの笑顔が見たいので、アイドルには好きなように活動してもらいたいと思うものです。

 しかし、ファンが見ている「アイドルのイメージ」はアイドルとして演じられている演出されたものであり、ファンがアイドルの活動にイメージの乖離を感じた時、その乖離はアイドル自身の本心によるイメージ変更なのか、はたまた事務所やマネージャーなどによる外部からの指示によるものなのか。

 ファンはその変更をどうとらえるのか。

 

 

ちょっと思いついたものを頭から駄々洩れで書きなぐってます。

 

 

Netflixで「ブラック ミラー アシュリートゥー」を視聴。

あらすじ

 アシュリートゥーという大人気のポップアイドルとそのアイドルに憧れる内気な少女。

 そんなアイドルの思考を模したAIを搭載した家庭向け会話ロボット「アシュリートゥー」を少女レイチェルが購入し、ポップアイコンであるアシュリーオーそのもののようなファンを元気づけてくれるポジティブさに、友達の出来ないレイチェルはのめり込みダンスも練習するように。

 

 しかし、当のレイチェルオー自身はマネージャーでもある叔母によって作り上げられたポップアイコンと本来の自身のやりたい事との乖離に思い悩んでいます。

 その後、なんやかんやありアシュリーオーはポップアイコンとしての存在を捨て去りう自身のやりたかったパンクミュージックを始めレイチェルはアシュリートゥーとともにそんなアシュリーと姉のバンドを楽し気に見ているところで終わるハッピーエンド。

 

アイドルを追いかけるファン心理について 

 実は私、AIロボットやアイドルが好きでして。今回の話は人間の思考をコピーしたAIとまさにアイドルの苦悩が描かれたどんぴしゃりで色々思うものがありました。

 

 

①アイドルと言う存在の非人間性

 

 アイドルと言えば、可愛くキラキラしている。だけど一生懸命なところもあって一度虜になると応援したくなる今後の成長を見守りたくなるような不完全性がファン目線から感じるアイドルと言う存在の魅力だと思っています。

 しかし一方で、そのアイドル自身は生身の人間であり、人間である以上思考や行動が常に一貫性を貫く事など出来るはずもなく、喜怒哀楽の幅があるのも当然。

 それが一時的なものなら良いのですが、活動を続けるうちに、いや生きて様々な外的刺激を受ければ人間として当然新しいものに興味が湧き、別の方向へ手を出したくなるもの。もしかしたら、「アイドル」になった始めの一歩から我慢や割り切りがあったのかもしれない。

 でもアイドルとして活動している以上、今までのイメージを崩すことは出来きません。なぜなら、アイドルというものはイメージの存在であり、そのイメージを多くの人は見て追いかけているのだから。

 

 そう、たとえファンといえど、いやファンならなおさらアイドルのイメージがファン自身にとって応援したいものであったからこそ応援しているでしょう。

 

 アイドルは自身のイメージを演じている。いや最初は素がそのままアイドルのイメージになったのでしょうが、その素がずっと変わらないとは限らずいつしか演じることになり、辛くなる。そんなテーマはアイドルものの定番でしょう。

 

 

②アイドルファンの目線

 

 アイドルはファンがいるからこそアイドルとしてお仕事があり、多少強引な事を言うとファンや世間の期待するアイドルイメージを演じ続けるのが仕事でしょう。

 そしてアイドルファンはアイドルの事が好きであり、好きなアイドルには笑顔でいてほしい、望むように活動してほしいと思っているものです。

 

 しかし、ここでややこしいのは「アイドルが本当に好きでやりたいこと」がそれまで培われたアイドルイメージとかけ離れてしまっている場合。

 

 前述した通り、ファンはアイドルの笑顔を観たいもので、その笑顔というものはアイドルが好きな事やりたいことをやっているときにキラキラと輝くものです。

 では、「アイドルの好きな事やりたい事」をファンは本当に知っているのでしょうか。

 アイドル活動というものは見返りを求めるものです。アイドル自身だったり運営する事務所などだったり。

 ファンはアイドル自身を応援しているつもりでも、そのアイドルイメージには見返りを求めた様々な存在と思惑があり、もしかしたら、思惑によってはイメージ変更が起こりえます。

 

 そんな時、イメージ変更についてファンはどうするのか。おそらく、大多数のファンはそのアイドルについていくのでしょう。なぜなら、わざわざ変更するということはその変更の先に「アイドルの好きな事やりたい事」があり「アイドルの笑顔」が見られると信じているから。

 

 でも、その変更は本当にアイドルのやりたかった事なのでしょうか。もしかしたら、アシュリーのように本心は別のところにあるのにアイドル活動を止められず外部の思惑に沿っているだけなのでは…?

 残念ながらファンはそれを確認する術はそうそうありません。今までのアイドルの言動と変更の矛盾を探そうとしても、そもそも、その言動はアイドルイメージとして外部存在から提供されているも(かもしれない)のだから。

 

 アシュリー・トゥーの本編ラストでは既存のファンがパンクロックなクラブから立ち去る姿が描かれています。

 これは、ファンの抱いていた「アシュリー・オー」のイメージが実は事務所による作り上げられたアシュリー像であり、そのイメージをファンは追いかけていたからです。

 

 

 

④好きな事を頑張ってほしい!でも好きな事ってなんだろう

 

 上記ファンの行動は、これまで一生懸命に活動をしていたアイドルに対して本当にやりたい事を始めたことを祝福こそすれ離れていくのは薄情な行動にも見えます。

 

 しかし、そのアイドルに対してファンは何を観ていたのかに寄ります。この記事のように「アイドルイメージ」を追いかけていたのか、アイドルの存在そのものを追いかけていたのか。

 

 

 

翻って私の推し活動は…

 

 私もアイドルを追っかける身としては、アイドル自身のやりたい事を応援したい派です。

 路線変更が仮にアイドルの本心でないとしても、そのアイドルが了解したからこその変更であり、なるべく応援はしたい。

 

 でも、その変更がアイドル自身の理想とかけ離れていたとしたら…?

もしかしたら、現状を応援しないことがアイドルの解放につながるのでは?

 

 そんなたらればを思うと素直に応援出来ない気持ちも抱えてズルズルと引き釣りながら映画を観ていた今日この頃。